速水矯正歯科

速水矯正歯科/京都市左京区の矯正歯科

Q&A・費用について

 

矯正装置について

 


大きな地図で見る

京阪 出町柳駅より徒歩5分
京都市左京区吉田河原町14
マンハイム鴨川101

 

 

HOME»  私が矯正歯科医を目指した理由

私が矯正歯科医を目指した理由

あれはそう、2001年の9月の終わりの事でした。「お父さーん、ちょっと小遣いちょうだーい!」まさか、これが父と交わした最後の言葉となろうとは、思いもよりませんでした。

私が歯科矯正学を意識したのは、幼稚園の頃だったでしょうか。この話をするうえでは、私の父の話を抜きにはできませんので、少しさせて頂きます。

  私が矯正歯科医を目指した理由

 

父は祖父の代から2代目の歯科医でした。3人兄弟の末っ子で3人とも市会になりました。しかし、兄と違うことがしたかったのか、当時としてはまだ珍しかった矯正歯科に残ったそうです。幼稚園児であった私の乳歯が抜けたときに取り外しの床装置を作成してもらったのを覚えています。その後も拡大装置など何種類かの床装置を友人に自慢していた記憶があります。そして私も「ちょっと普通と違う歯医者さん」に憧れをもつようになりました。
 その後、大学に入学すると何かと矯正歯科医である父を知っている先生に出会い、段々と矯正歯科を目指す気持ちが大きくなっていきました。しかし矯正歯科学がこんなに難しいものだとは、まだ気づいておりませんでした。
 なんとか大学院に入学したものの、元来の遊び癖、無精癖は治らず、日々研究もそこそこに飲み歩いておりました。収入はもちろんないので、小言を言う母ではなく父から小遣いをせびる毎日です。「お父さーん、ちょっと小遣いちょうだーい!」は、当時の私にとってはほとんど父との挨拶になっていたくらいでした。そんな私の放蕩ぶりにも嫌な顔一つせず、父は小遣いを渡してくれました。
 そんな大学院4年の秋の晩、またしても遊びに繰り出していたところに母からの電話が携帯に掛かってきます。こんな時間に何の用やろ?面倒やしほっとこうっと1回目の電話は無視します。しかし2度3度と掛かってくるではないですか。これはどうしたことか?と電話に出ると「お父さんが、倒れた!すぐに戻ってきて!」という悲痛な叫びでした。
 さすがに尋常でないことを察知し、家に戻ると父が倒れていました。すでに顔色は紫色のチアノーゼの状態です。あわてて近づいてみると心肺停止、死亡でした。呆然と立っている母を押しのけ、そこから素人蘇生を開始します。気道確保の後、まさか実の父とマウストゥーマウスをする羽目になろうとは・・・。心臓マッサージも忘れません。するとどうでしょう!停止したばかりの心臓って結構元気なようです。父が息を吹き返したではありませんか!そこにタイミングよく救急車が到着です。今までの経緯を伝えたうえで救急車に同乗します。しかし、またしても心肺停止します。今度は心臓マッサージしてもなかなか復活しません。気管挿管を頼むも当時は救命士による挿管は出来ませんでした。そこで私が歯科医師であることを告げ、その指示に従い挿管という手順を踏んだのです。余談ですが、その後日本においては2004年になってようやく救命士単独でも挿管できるようになったそうです。
 救急病院につくとすぐに電気ショックの準備です。しかし、そこで見たものは・・・。「キャーー、私これするの初めてなんですよー、どうするんですかー??」と当直の新人研修医の女の子・・・。あかん、こら助からん・・・。

そんな家族を横目にキャッキャ言いながら初めての蘇生をする女医さん。もう目の前真っ暗でした。自分の非力さを痛感してるところにベテラン先生の登場!バチバチバチ!っと手際よく電気ショックをして脈が戻りました。そしてCTを撮影しに行ったのです。
 その結果、担当医の先生曰く「脳幹梗塞」とのことでした。脳に行く大元の血管が詰まったことによる即死だったようです。蘇生したものの脳細胞が死んでおり、自発呼吸ができない脳死である。つまり植物状態(自発呼吸ができる)にもならないとのこと。あともう少し蘇生が早ければ、もしかしたら脳死は避けられたのでは・・・。母からの1度目の電話を取らなかった自分を後悔しました。これはたぶん一生後悔していくことになるでしょう。  人工呼吸器と何本ものチューブを取り付けられ、とりあえず生かされてる父を見ながら自分の人生を振り返り反省の日々が始まります。翌日、父の診療所に行き、当分の間診療できない旨を張り紙してると、患者さんが言います。「昨日の晩に診てもらったのに今朝から休診ってどういうこと?」こっちが言いたいセリフです!  あーー、こうしちゃいられない!なんと翌週は東京で日本矯正歯科学会の発表だ!あわてて大学に行き、教授に事情を説明しましたが、突然「どうしましょう?」って言われても困られたことと思います。なんとか発表だけはして下さいとの返答をもらい父のいる病院へ戻ります。すると担当医の先生が、名義変更や銀行から預金を引き出したり、父が生きているうちに出来ることをしておきなさいとのアドバイス。私もその時初めて知ったのですが、死亡してからでは銀行口座の凍結や、名義変更が煩雑になったり大変だそうです。そこで家族で協力して処理に当たります。いつ心臓が止まってもおかしくないので大急ぎです。夜は病院に泊まり込みで心電図と睨めっこしました。午前中は父の診療所の対応、午後から大学に行き学会発表の準備、夜は病院に泊まり込み。そんな日が1週間ほどたったでしょうか。担当医の先生から呼ばれます。心の整理はつきましたか?このまま人工呼吸器をつけたままにするか、器械を外して看取るかどちらにしますか?とのこと。家族会議を開き、結論を出します。「もう外してあげてください・・・。」
 暗い病室の中、徐々にモニターの数値が減っていく様を見続けました。父の温かい手をずっと握りました。苦労をかけっぱなしだったことを詫びました。そしてそのうち数値はすべてゼロになりました。  冷たくなった父と家にもどりますが、今度はお葬式の手配がありました。ありがたいことに本当に多数の方に参列していただき無事にお通夜とお葬式を済ますことができました。お葬式ではなぜか自分が当事者である感じが全くせず、映画やドラマを見ているような感じにとらわれ、終始口元がにやけていたようで後から多くの人に怒られました。
そして、なんと翌日が東京での学会です!先輩後輩総動員で協力して作成したプレゼンを引っさげて行きました。
その後、春の大学院卒業までは月~金を大学へ行き、土日は継承した父の診療所で、残された矯正患者さんを診る日が続きました。卒業後、ただちにフルタイムで診療所を開け、現在に至ります。ですから、私は矯正臨床についてのいわゆる修業が足りないと思っています。いい加減な日々を過ごしていたものがすべて自分に跳ね返ってきたのだと思います。そのぶん、開業しながらも数多くの講習会に参加し、勉強しまくりました。そのあたりを認めてもらったのか、大阪歯科大学の非常勤講師として後進の指導をする立場も経験させていただきました。

まだまだ修業中の身ではございますが、これからも常に患者さんの気持ちを考えて、真面目に臨床をしていくよう努力してまいります。

速水矯正歯科 院長 速水 勇人

 

無料初診相談 TEL:075-771-8841